山への旅(シリーズ) シリーズTopへ戻る
第9.1回 阿蘇にもあったエイノオ地名
エイノ尾平(鱝ノ尾平)※ 肥後國志【合志川芥】より 長陽村(現、南阿蘇村)立野
※ 出展 阿蘇一の宮町史 自然と文化阿蘇選書11 「神々と祭の姿」p204 もどる
☆ エイノオ地名については、こちら(地名は時間の化石)のサイトに詳しいです。
阿蘇にもあったエイノオ地名
山を海に住むエイ(鱏)の姿に見立てて地名とするのは、海人族集団ならではの心情。
阿蘇の地に住んでいた人々の海人族としての性格をあらわす地名かもしれません。
阿蘇日下部(草部)一族
【注意事項:本記事の信憑性】
写真撮影:牛島稔大(2010/8/22) もどる

●テレビでエイが海の底の砂地に擬態している姿を見た時、エイを山に見立てた昔の人の心情が理解できました。 もどる





注意) もどる
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改訂合志川芥(昭和7年版)では『鱝ノ尾平』ではなく、『鯰の尾平』と記載されています!。
A
しかし、肥後國志(明治17年発行版)には、合志川芥の記事として、『鱝ノ尾平』と記載されています。
B
2010年8月下旬、南阿蘇村立野字新所の新所郵便局、南阿蘇村企画観光課、南阿蘇村教育委員会及び南阿蘇村森林組合に対して、
南阿蘇村大字立野の立野病院北方標高755.8Mの山の名称及び当該地区一帯の名称・通称について問い合わせましたところ、
山の名称、当該地区一帯の名称・通称は“よくわからない”とのことでした。
C
“合志川芥”という書物は、慶安年中(1648-1651)天台宗の僧による書物が原本と伝わっています。




