故郷/津江の山々

2005.2.19更新)

(わたしの故郷津江について)

(古文書に見る津江山の歴史)

津江神社と老松大明神

(山びとの考察)

(津江の地名)
(津江とその周辺の山々)
(津江とその周辺の市町村)
(地図/豊後・筑後・肥後の境)
(写真掲載:昭和30年代の中津江村の林業) New!
(山びとのうた)

新企画 九州の山と伝説2000.1.11掲載開始)

鯛生金山 2008/4/6更新)

鯛生小学校/中学校 校歌

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 私の故郷津江(鯛生:大分県日田郡中津江村大字合瀬)は、九州全体から見ると中央部のやや北に片寄った山地に位置し、大分、福岡、熊本の3県に接する県境の村です。衛星写真でこの村を見ると平野部とは無縁の山地のまっただ中にあることが分かります。筑後と肥後、筑後と豊後の境をなす山地が、肥後と豊後そして日向との国境をなす阿蘇の山岳地帯と融合しています。古来より筑後と豊後或いは肥後の境の山地はそこ住む山の民にとって一纏りの生活地域であり、自由な往来があったようです。地図にえがかれる藩或いは県の境界はあくまで、平野部で農耕をいとなむ定住民の境界なのです。もう一度衛星写真を見てみましょう、緑色の山岳地帯がひと塊となって筑後/肥後/豊後の国境を形成しているのが良く分かります。
 私の祖母のおじいさん(喜三郎じいさん:安政2年生まれ)は、明治15年福岡県上妻郡光友村大字山崎(筑後柳川藩、現在の八女郡立花町山崎)より分家し、津江の地(大分県日田郡中津江村大字合瀬)にやってきたようです。私はかねがね、なんで喜三郎じいさんが、福岡県の筑後地方(久留米又は柳川藩)からはるばる国境を越えて、大分県(豊後天領日田)の津江の地にやってきたのか疑問に思っておりました。明治27年頃に発見された鯛生金山のためでしょうか?でも喜三郎じいさんがこの地にやってきたのはそれより以前のことのようです。恐らく筑後地方で盛んであった手漉き和紙の原料となる楮、三椏の皮(津江の山の産物)を筑後地方に交易する商いをしていたのではないでしょうか。もっとも津江の歴史を見ると、険しい山間僻地とはいえ、さらには交通手段の飛躍的に進歩している現代人の私でさえ舌をまく程の行動力と行動範囲をもって、古来から人びとが往来していたことが分かるのです。 もどる

 


古文書に見る津江山の歴史
中津江村誌 第2編歴史より

初見津江山
津江山(室町時代)
戦国末期の津江氏
朝鮮出兵とその後の津江氏

津江神社と老松大明神

中津江村誌 第5編神社仏閣と文化財より

 

津江神社と老松大明神

津江神社の通史

津江での政権移譲

相撲の節会と吉祥比売命

中津江村の山神信仰  老松(津江)神社の祭り

祈祷師と憑きもの  中津江村の後狩詞記New!2004.5.16

 

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山びとの考察

山民に関する考察
日本民俗文化大系5 山民と海女 第2章/山民の生業と民俗より
山にすんだ武士 肥後山間の武家の興亡 山中武士の組織と兵力  山民の概念 山民と山村
 

陸の大動脈としての中央構造線
谷川健一著 日本の地名 第2章 地名と風土より 岩波新書 1997

山の民の交通路
講演:井上清一、第9回熊本地名シンポジウム『熊本の地理と地名』1994より

山の人生
柳田国男著 第13「神隠しに奇異なる約束ありしこと」より

木地師
中津江村誌 第6編民族より 平成元年 New 2004/5/16

木地屋に由来する地名
谷川健一著 日本の地名 第2章 地名と風土より 岩波新書 1997

古代氏族と山の民 New 2002/8/17
梅原猛 海人と天皇-日本とは何か- 新潮文庫 1995 注記(西川照子執筆)より

重層する文化、連続する意識 New 2002/8/18
宮崎康平、海原猛、中上健次、古田武彦、谷川健一氏らのアプローチ

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津江の地名

津江、杖立

兵戸峠 上津江村

ロクロウヤ 中津江村
木地ヤシキ 中津江村
雉谷 上津江村

鯛生 中津江村

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